イザベラ・バードの道を辿ってみませんか?

イザベラ・バードとは?

イザベラ・バード(Isabella L.Bird:1831-1904)英国生まれ。当時47歳

イザベラ・バードは、1831年に英国ヨークシアの牧師の長女として生まれました。幼い頃から病弱でしたが、彼女は健康のため転地療養と称して多くの外国旅行を志し、1854年のカナダ・アメリカ旅行に始まり、オーストラリア・ニュージーランド・ハワイ・騎乗によるロッキー山脈越えを敢行。イザベラは因習にとらわれない自由闊達な女性でした。

開港したばかりの日本を、47歳(1878年/明治11年)の時に訪れ、通訳と身の回りの世話係をする日本の青年一人を連れ、東京を起点に日光から新潟へ抜け、日本海側から北海道に至り、函館、森、室蘭、白老を経て、佐留太から奥地の平取アイヌ部落に向かったとされています。

イザベラ・バードの功績 『日本奥地紀行』

イザベラ・バードが残した紀行文『日本奥地紀行』は、明治期の外来人の視点を通した日本を知る貴重な文献であり、特に、アイヌの生活ぶりや風俗については、まだアイヌ文化の研究が本格化する前の明治時代初期の状況をつまびらかに紹介したほぼ唯一の文献です。

近年、郷土史、植物学、地質学などの分野から貴重な文献とされ、イザベラ・バードの足跡は、平取町をはじめ道内外の郷土史家や自然環境など多くの分野でその功績を研究・継承する活動が行われています。

イザベラ・バードの功績 『日本奥地紀行』

「イザベラ・バードの道を辿る会」では、2007年に「平取を歩く会」から始まりをきっかけに、白老、函館、七飯、森町、室蘭、再び平取町と「歩く会」を開催してきました。

そして6年目の今年(2012年)は、明治11年に来日し函館を経て平取まで旅した英国女性旅行家「イザベラ・バードが辿った沙流川流域」として日高町富川の門別図書館郷土資料館周辺から、平取町本町の義経神社までの約15kmをフットパスコースとして整備するため、フットパスマップの作成やフットパスコースの案内標識(サイン)設置を行いました。

このマップが、今後、地域の歴史や文化を、日高町・平取町民に伝えるとともに「フットパスルート」が両町における新たな観光スポットとして地域内外の人々に親しまれるよう期待しております。

フットパスコースの案内標識(サイン)

フットパスコースの案内標識(サイン)は、日高町富川の門別図書館郷土資料館周辺から、平取町本町の義経神社まで28基設置しています。

フットパスマップ

フットパスマップでは、航空写真を使用し、イザベラ・バードの解説、フットパスコースのルートの解説などを紹介しています。

マップは、次の場所で無料配布していますので、お問い合せください。

・ 平取町役場の図書館(平取町) TEL:01457-2-2221(代表)

フットパスマップ 表(PDF/3MB)フットパスマップ 裏(PDF/1MB)

イザベラ・バードが辿った道

佐留太から目的地平取へ

佐留太村は、仙台地方の士族がつくった開拓地で、ここから12マイル山奥にイザベラが目指すアイヌ住民の部落があります。ここでシーボルトに再会、平取アイヌ部落の族長ペンリウクを紹介され、彼からの滞在の許可の伝言を持って、イザベラは平取へ向かいました。

平取まで、道は人のよく往来する道とあるが、「森林は、暗くて非常に静かである。この細い道が縫うように中を通っているが、他にも漁師が獲物を求めて通る小路もある」。けもの道のような道をたどってシリ川(現:沙流川支流)河口から通りがかった小舟で沙流川の対岸に渡りました。

現在、この渡船場後に2009(平成21)年「紫雲古津川向大橋」が架けられ、そこに「イザベラ・バードが歩いた道」の解説板が設置されています。

旅の途中、見かけたアイヌ村の手入れが行き届いている様子に驚いています。そして旅の最大の目的地、アイヌの人々が多く暮らす平取アイヌ部落に到着し、義経神社近くのペンリウク宅に滞在し、アイヌの人々と数日間を過ごしました。

「平取はこの地方のアイヌ部落の中で最大のものであり、非常に美しい場所にあって、森や山に囲まれている。村は高い台地に立っており、非常に曲がりくねった川がその麓を流れ、上方には森の茂った山があり、これほど淋しいところはないであろう」

短期間の滞在にもかかわらず、アイヌの生活、慣習、宗教など精力的に調査し、当時のアイヌの生活を知る貴重な調査結果を残しています。また、病人の看護のお礼にと、アイヌ以外足を踏み入れたことのない義経神社に、外国人で始めて案内されました。

掲載内容のお問い合せ先

株式会社平村建設内
平村 徹郎
TEL:01457-2-2306

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